大増量さんの感想

大増量さんより感想をいただきました。原文は天鳳のSNS内なので許可を得て転載しています。
原文はこちら(要アカウント)配信の感想もふまえて、麻雀文化受け入れの下地作りのために認識しておくべき現状の一般的な麻雀へのイメージについて、感想も含めて持論を展開していただきました。少しツイッターでもやり取りさせてもらったのであわせて掲載します。

『麻雀はギャンブルか?』

先日の音無さんのSOS-LiVE!のコメント返信についてのツイッターでのメッセージのやりとりです。 麻雀とはゲームなのかギャンブルなのか?ギャンブルとして捉えられるか、ゲームとして捉えられるかによってイメージに違いはあるのか?


[管理人音無]配信のコメントをまとめました。http://otonashi.kowloon.cc/works.html 気になったコメントにレスをしています。全部はさすがに無理だった。気になる人は読んでください。
[大増量]@yipinhong 157と158のコメントに対する返信を見て思うのですが、麻雀そのものはゲームなのに麻雀の属性を指して「ギャンブル」という人が多いですよね。金を賭けたがる人も多いし、賭けるものだと思いこんでいる人も多いです。この辺の先入観を無くさないと誤解されたままですね。
[大増量]@yipinhong 囲碁、将棋、麻雀は全て属性はゲームであって、金をかけるという行為によってギャンブルという属性が付加されるわけで、囲碁、将棋も金を賭ければゲームでもありギャンブルです。碁会所に行けば金を賭けることもあるらしいですし、ヒカルの碁でもそんな描写がありましたね。
[管理人音無] @daizouryou ツイッターでは返事しきれないけど、逆に考えると「優れたギャンブル性を持ったゲーム」という解釈もあり。ヒカルの碁の話も、確かに世の中のすべてがギャンブルになるけど、プレー人がギャンブルであるかガチであるかの比率や歴史もあるかも。株式やFXもギャンブルだしね。
[大増量] @yipinhong そこは全面同意です。ギャンブル性があるからこそ素人とプロが勝負しておもしろいゲームですよね、麻雀って。

引用:ツイッターでのやり取り

まず結論から言うと、俺は個人的には麻雀というのはゲームが本質だと思います。 ギャンブルというのは金銭や財産的価値のあるものを賭ける行為を言うのであって、麻雀そのものはギャンブルではないと考えています。 麻雀は基本的にはゲームであるけれども、金銭を賭けるという行為によってギャンブルという性質も併存的に持つようになるということです。

「ゲーム」というのも「ギャンブル」というのも、どちらも属性に過ぎないのであって、ギャンブルだからゲームではなくなるということはありません。 だから囲碁や将棋も(一般的な認識通り)ゲームであるけれども、金銭を賭ければギャンブルという性質を持ち合わせるようになり、麻雀もまたそれと同じわけです。

ではなぜ麻雀はギャンブルと捉えられてしまうのか?

これは麻雀というゲームが持つ、「ギャンブル性が高い」という性質によるものだと思います。 「ギャンブル性」というのは、「ギャンブル」そのものとは意味合いが異なります。 「ギャンブル」は先述の通り、金銭を賭ける行為を指すのに対し、「ギャンブル性」とは、運などのプレイヤーの実力では思い通りにできない要素によって勝負が左右される性質のことを言います。 世紀末リーダー伝たけしにおいて、「リーダー」と「リーダー的」の概念が区別されていたようなものですね。

ギャンブル性が高いということは、ギャンブルと親和性が高いということです。 この性質によりギャンブルとして利用されやすいことから、歴史的に麻雀がギャンブルとして利用されてきたことと相まって、麻雀がギャンブルだと捉えられることが多いのだと思います。 この結果、麻雀というとゲームではなくギャンブルだという認識が定着してしまい、イメージが悪くなってしまっている側面があります。

しかし、ギャンブル性が高いというのは運によって実力の差をひっくり返せる余地が大きいということなので、素人がプロと対局しても楽しめるゲームであるということもできます。 これにより、麻雀は初心者から上級者、老若男女問わず楽しむことも実力を伸ばすこともできる素晴らしいゲームだと思います。

では、麻雀のイメージアップを図る必要があるのか?
またそのための方法は?

麻雀のイメージアップについて語るには、麻雀の歴史的経緯や一般的な認識についての考察を織り込むことが必須です。 麻雀が歴史的にギャンブルとして利用されてきたことと、それによってギャンブル好きな人たちに好まれてきたという経緯から、麻雀は囲碁や将棋と比べて愛好者の層が大きく異なります。 これはイメージアップを試みる際の手法についても囲碁や将棋と異なるということを示します。

昨今の麻雀ブームの土台には、ネット麻雀の隆盛という要素もありますが、女子プロの存在もまた象徴的です。 しかしこの女子プロの存在意義や役割は、囲碁や将棋における女流棋士、あるいは女子柔道やフィギュアスケートのような女子スポーツにおけるものとはかなり異なります。

麻雀の女子プロは、実力は度外視であるとさえ言われることもあり、華美な容姿がもてはやされて重視されることが多くあります。 これはやはり、麻雀がギャンブル好きな層に好まれてきたことと無関係ではないと思います。

麻雀という文化の発展という観点から見れば、正常な発展方向はゲーム技術の高度化や愛好者層の拡大と言うべきであり、現在の女子プロについての風潮は一部に健全性を欠いている部分があると思います。 言葉は悪いですが、これは従来的なギャンブル好きな層が好む風潮なのかもしれないと思います。 アプローチの方向を模索することは大事なことだとは思いますが、この点はまだ従来の麻雀観の域を脱し切れていないところがあると思います。 ただし、女子プロをアイドルの一種だと割り切った存在とするのであれば、それは一つの良い手法だと思います。

次に、麻雀がギャンブルとして利用されてきた歴史から、現在でも麻雀をギャンブルとして利用しようと考える人が多いということがあります。 このような人の中の一部には、「金を賭けない麻雀は遊びだ」とか「金を賭けているかいないかで麻雀は別物になる」とか「ネット麻雀は(真剣になれるかどうかという意味で)ゲームだ」という主張をする人がいます。 これはやはり間違った認識であると言わざるを得ません。 最初に述べた通り、麻雀の本質はゲームなのであって、金銭を賭ける行為がギャンブルなのです。 ゲームをギャンブルに利用しているだけなのです。

麻雀そのものは遊びで金銭を賭けることが真剣勝負だとか、金銭を賭けることも含めて遊びだとか、そういう人は結局「麻雀」を楽しんでいる部分よりも、(比較して)「ギャンブル」を楽しんでいる部分の方が大きいのだと思います。

こういった側面がある故に、フリー雀荘ではチョンボ系のルールについて厳しかったり、打牌速度やマナーに厳しかったりすることが多いです。 金がかかっているのでつい他人に厳しくなってしまうところがあるのだと思います。 本来マナーというものは他人のためにあるものだと思うのですが、自分のためにあるものだと考える人が多く、それを他人に強要する人がいるので息苦しくなってしまっています。 これが結果的に麻雀の世界に飛び込もうとする人にとって敷居が高く感じられたり、イメージが悪くなってしまう要素となってしまっている面があると思います。

ただ、今後はそういうところは少なくなっていくのではないかと思います。 ネット麻雀の隆盛により敷居は下がっているし、麻雀の知的ゲームとしての側面がクローズアップして注目されることが多くなってきました。 一昔前と比べて麻雀愛好家の層は確実にシフトが進んでいます。 SOS-LiVE!の465のコメントは俺のコメントですが、こういう細かい工夫が実現できればテレビ放送への露出が増やせるはずだと思うし、今後の麻雀界の創意工夫による発展に期待するばかりです。

現在、麻雀に対するイメージが実際に悪いのか悪くないのかは断言し切れないところではありますが、イメージを悪くしてしまう要素を分析して考察することにより、それを取り除くことによってこれからも発展する余地は大いにあると思いますし、そうする価値があるのではないかと思います。