資料NO4 麻雀ライター福地誠先生による記事

麻雀の同人誌「麻雀の未来」の2号には、資料NO3にある野口氏へのインタビューを別の視点から追いかけた記事が掲載されている。執筆者はいまやmixiのサンシャイン牧場やブラウザー三国志に夢中になってしまった、われらが福地誠先生だ。すこし長くなるが引用してみよう。1972年頃の話だろうと思う。

あるとき、野口会長がテレビを観ていたら、知り合いが出ている。シナリオ学校で隣の席だった人だ。「板さんじゃないか」。テレビ局に電話して連絡先を聞き、その人に会いに行った。それは麻雀新撰組の一員となっていた板坂康弘氏だった。こうして板坂康弘氏と再会したことから、出版社を設立して彼を編集長とした麻雀専門誌を出すことになったのだ。わずかにこれだけのツテだった。
当時は阿佐田哲也、小島武夫などが活躍する麻雀ブーム。麻雀専門誌もさぞ売れるだろうと思いきや、じつはろくに売れなかった。竹書房はすぐに解散の危機に見舞われたという。すでに奥さんの実家が経営する会社の金を大量に投入していたが、まだ引き返せる。夜逃するほどではない。板坂氏は編集長を辞め、作家に戻るという。
だが、野口会長は止めなかった。新しい編集長を見つけてきて、雑誌のページ数を減らしてコストを下げ、原稿料などの予算を半減させ、売り上げは大幅アップさせるように命じた。

引用:麻雀史を書く前にウロウロ/福地誠 [麻雀の未来 2号より]

このへんの経緯は『麻雀盛衰記』(岡田和祐著 三一書房刊 86年)に詳しい。ムチャクチャな悪条件のなかで、新編集長・岡田氏は奇跡的な業績を上げ、数年後に竹書房は自社ビルを建てるに至ったと書かれている。だが、野口会長の口から聞くと『麻雀盛衰記』は正しくないのだった。たしかに『近代麻雀』の売上は向上した。だが自社ビルを建てるほど利益が上がったわけではなく、それどころから一番良かった時期でもようやくトントンだったという。
それでは竹書房はどうやって自社ビルを建てたのか。麻雀漫画だった。あちこちの雑誌に載っている麻雀漫画を集めてきて、麻雀漫画だけの一冊を出してみたら、あっという間に完売したという。そこでドンドン出したら、かならず売れる。毎月1冊ずつ出して1千万円ずつ儲かったという。すべての利益を稼ぎ出したのは麻雀漫画だった。

引用:麻雀史を書く前にウロウロ/福地誠 [麻雀の未来 2号より]

私は「月刊ネットマージャン」というオンライン麻雀雑誌っぽいものを(お遊びだけども)運営している。ほぼジョークサイトとしての意味合いが強いものだ。そのサイトが秘めている可能性は否定はしないけども、限界が見えているのも事実だ。それは以下の福地誠先生の文章に集約されている。多くのチャンレンジャーが挑み散っていた巨大な壁が立ちはだかっているように思う。この1点を突破する必要があるのだろうけども、インターネットと云う名の翼は、この壁を飛び越えるほどの跳躍力があるのかどうかは未知数だ。それは麻雀というジャンルに限ったことではないのかもしれない。

これは衝撃の事実である。これだけ麻雀人口がいるんだから、麻雀専門誌が実現しないはずはない。多くの人がそんなことを考え、麻雀専門誌を作っては売れずに撤退していった。その際、多くの人の念頭にあったのは全盛期の『近代麻雀』だった。竹書房では70年代後半には『近代麻雀』と『麻雀研究』(通称ジャンケン)の二冊を出しており、それが本業の会社だと思われていた。しかし、利益は漫画で上げており、麻雀専門誌は儲かっていなかった。ということは、利益を上げた専門誌はまだ存在していないことになる。

引用:麻雀史を書く前にウロウロ/福地誠 [麻雀の未来 2号より]

実録・麻雀盛衰記―麻雀プロ・その世界

実録・麻雀盛衰記―麻雀プロ・その世界 三一書房 1986-01

文中に登場する本はアマゾンで購入可能みたいだが、絶版になっているためプレミア価格の出品になっている。著者は日本初の麻雀専門誌「月刊近代麻雀」発行後に、売れ行き不振を立て直すように命じられた編集長の岡田和祐氏になる。私も未読なので内容は確認できず。