資料NO3-1 竹書房会長、野口恭一郎氏の証言

竹書房、野口会長へのインタビュー記事より。日本初の麻雀専門誌「月刊近代麻雀」の創刊時の話。阿佐田哲也氏の寄稿などもあったが、エンターテイメント性の高くない技術論、戦術論に向かった内容だった。売れ行きはあまりよくなかったそうだ。1972年頃の話だ。

いたさん(板坂康弘/後の近代麻雀編集長)から話をもらって、出版取次関係者に話を聞いてみたら、売れるわけないと10人中10人が反対だった。しかし、私は麻雀ファンは1000万人〜2000万人いるから、そのうち1〜2パーセントが買ってくれれば10万部、20万部はいくと考えてしまった(笑)それで、いたさんが仲間だった麻雀新撰組と阿佐田哲也先生、麻雀団体や業界団体の協力を得られることを条件に、出版することにしたんだけれどもね。私自身、ブックセールスの仕事はしていたけれど、出版界のことはよくわからなかったからね。いま考えたら冷や汗がでるけど、月刊誌一本で出版社を創業することが、どんなに危ないことかわかっていなかった。

引用:雀狼たちの肖像 麻雀新撰組とその時代

売れ行き不振で倒産寸前だったけれど、徹底的に初心者向けに誌面をリニューアルしたら、売れ始めた。麻雀を知っている人は笑っちゃうような内容だったのかもしれないけど、そういう人は逆に、技術論や戦術論が載っている麻雀専門誌を買わない。学生運動をやりながら、麻雀をやっていたような全共闘世代、団塊の世代の若者たちにハマる内容になったんだろうと思う。

引用:雀狼たちの肖像 麻雀新撰組とその時代

売れていたから姉妹誌として『麻雀研究ジャンケン』を出そうとしたところ、両方初心者向けだったから、共倒れしそうになった(笑)ギャンブル劇画専門誌や麻雀劇画専門誌が当たって、何とかなったけれどね。その後もピンチが何回かあったけれど、『フリテンくん』など、神風も吹いてくれた(笑)

引用:雀狼たちの肖像 麻雀新撰組とその時代

資料NO3-2 当時の近代麻雀などの表紙

昭和51年7月号 月刊近代麻雀

小島武夫への公開質問状「聴牌の1点読みは可能だ!」という記事が掲載されている。奇しくも月刊ネットマージャンの現時点での最新号にはmabooくんによる「1点読みのアプローチ」が掲載されている。まさか、manbooくんはこの記事を丸々ぱくったなどの可能性はないだろう(当たり前だけど)ネットマージャンの時代になっても変わらないテーマもあるんだなぁと思うと感慨深い。記事が手に入れば、比較とかも面白そうだ。

資料NO3-3 植田まさし「フリテンくん」と竹書房

フリテンくん Vol.12 (バンブー・コミックス) 昭和51年7月号 月刊近代麻雀

いまや「コボちゃん」の長期連載により国民的4コマ漫画作家となった植田まさしと竹書房の関係も深い。竹書房は何度か倒産の危機に見舞われているが、そのたびに神風のような奇跡が起こって持ち直すというエピソードがある。設立2年目の危機を救ったのが植田まさしの「フリテンくん」だった。ご存知の方も多いと思うが、かつての植田作品は今のコボちゃんからは想像もできないようなシモネタが満載の漫画だった。福地氏の記事を引用しておこう。ちなみに、私はけっこうなレベルで「かりあげくん」フリークだ。スカイプやmixiのアイコンもかりあげくんを使用している。

設立して2年あまりのころ、竹書房は倒産の危機に陥ったという。そのときに取った手立てというのが、売れるかどうかもわからない漫画をいきなり30万部も刷ってしまうことだった。印刷の代金は後精算だ。だから、その本が売れれば問題は解決する。だが、売れなかったらどうなるのか。竹書房はもちろん、その印刷会社も連鎖倒産することになる。首がしまっている竹書房はともかく、印刷会社の方は正気の沙汰じゃない。仕事で大穴あけていた人が、競馬場に行って万馬券に大金を突っ込むという。そのタネ銭を貸してやるようなもんだ。(中略)その漫画「フリテン君」はどうなったのか。本当に30万部売れてしまったのだった。当時の竹書房は30万部も売れる大ヒットはまだ経験がなかったから、最初のヒット作にそんな形で巡りあったのだった。

引用:福地誠 麻雀史を書く前にうろうろより